東京高等裁判所 昭和44年(う)1774号 判決
被告人 八木幸治
〔抄 録〕
(論旨第一点について。)
所論は長文に亘つているが、そのいうところは、要するに、原判決が、一方では、その「理由・(罪となるべき事実)」の第二段で、本件午前五時二〇分頃から同六時二五分頃までの間における執行官一行および多数警察官の占有排除の公務執行行為を一連・一個とみ、これに対する占拠学生約六〇名の二階ベランダ、三ないし五階の各窓および四階屋上等からの投石等の暴行をこれまた一連・一個の妨害行為とみ、従つて、その途中からこれに参加した被告人についても、その「理由・(昭和四三年一二月一三日付公訴事実につき公訴棄却を言渡さない理由(本件公務執行妨害、傷害のそれぞれ一部を認めなかつた理由)および(法令の適用)」では、昭和四三年九月一五日附起訴状記載の公訴事実たる佐村誠三郎等占拠学生数十名との共謀による午前五時二〇分頃から同六時一五分頃までの間における二階ベランダ、三および四階の各窓並びに五階屋上等からの投石などによる執行官および警察官らに対する公務執行妨害の事実と同年一二月一三日附起訴状記載の公訴事実たる被告人の数名の学生らとの共謀による午前五時三〇分頃から同五時五〇分過ぎ頃までの間における五階エレベーター・ホール北側窓からの煉瓦等の投下による警察官らに対する公務執行妨害、傷害および傷害致死の事実とを包括的に把握して、その公訴事実の同一性を認め、これを一連・一個のものとしながら、他方では、その「理由・(罪となるべき事実)」の第三段および第四段で、被告人の他の学生らとの共謀による午前五時二五分頃から同六時二分頃までの間における四階屋上部分東北角、同東側中程附近および同東南角からの拳大の石などの投下による執行官補助者および警察官らに対する公務執行妨害の事実と被告人の全共闘傘下の学生およびアルバム編集委員ら合計八名位の者との共謀による午前五時三四分頃から同五時五〇分頃までの間における五階北側エレベーター・ホール窓からの煉瓦などの投下による警察官らに対する公務執行妨害、傷害および傷害致死の事実を認定し、恰かも、被告人がこれら二個の犯罪を行なつたかのようにみられる判示をしているのは、背理であつて、原判決には、理由不備または理由齟齬の違法があると主張するに帰する。
そこで、原判決をみると、同判決がその「理由・(罪となるべき事実)の第二ないし第四段、(法令の適用)、(昭和四三年一二月一三日付公訴事実につき公訴棄却を言渡さない理由)および(本件公訴事実中の公務執行妨害、傷害のそれぞれ一部を認めなかつた理由)」で、それぞれ、論旨の指摘するような判示ないし説示および擬律をしていることは、いずれも、所論のとおりであつて、これによれば、原判決は、一方では、被告人の本件行為を統一的に把握しようとしながら、他方では、これを個別的に判断しようとした嫌いがあり、そこには一種の背理か、若干の矛盾があるものといわざるを得ない。その顕著な徴候は、原判決が、被告人の本件妨害行為を一連・一個の犯罪とみながら、これに二つの共謀と実行行為とを認定した点に現われている。
それで、この点につき、少しく検討すると、いうまでもなく、共同正犯は、「二人以上共同シテ犯罪ヲ実行」することによつて成立し(刑法第六〇条)、共謀と実行行為とは、或る犯罪につき、共同正犯が成立するために、必要、不可欠な二つの要因である。しかし、犯罪が一つ(または、一つとみられるものを含む。以下同じ。)である限り、その共謀や実行行為もまた、常に一つでなければならない。もちろん、共謀や実行行為の方法ないし態様には、種々様々なものが考えられ、それは、初めから、確実・強固なものとして現われることがあり得ると共に、また、初めは、不確実・非強固であつたものが、様々な過程を経て、漸次に、確実・強固なものへと拡充されて行くこともあり得る。しかし、共謀や実行行為が、このような複雑な過程を経る場合でも、それが、或る一つの犯罪に関するものである以上、右のような過程における一駒は、これを統一的に考える限り、常に、一つの共謀または実行行為中における唯だ一環たるに過ぎず、これを以つて、直ちに一つの独立した別個の共謀または実行行為であるとみることはできない。一つの犯罪については、常に、一つの共謀と一つの実行行為しかあり得ず、一つの犯罪につき、二つの共謀や実行行為があるというが如きことは、凡そ、考えられないところである。若し、そこに二つの共謀や実行行為があつたとみなければならないとすれば、それは、最早や一つの犯罪すなわち一個の共同正犯ではなく、二つの犯罪すなわち二個の共同正犯であるといわなければならない。この意味で、原判決の依拠する共同正犯の理解には、なお、徹底しない点があるためか所論の指摘する前記判示等には首肯し難いものがある。
なお、これに加えて、原判決の右のような二つの共謀および実行行為の認定自体に問題があることは、後に、論旨第二点の事実誤認の主張に対する判断の中で、述べるとおりである。
してみると、原判決には、一種の背理か、若干の矛盾があり、共同正犯理論を誤つたか、事実の認定を誤つたか、そのいずれかに基ずく理由不備または理由齟齬の違法があるものといわざるを得ず、この点において、論旨は、結局理由があることに帰する。
(論旨第二点について。)
所論の詳述するところを要約すれば、被告人が、警察官らの本件受傷につき、その責任を負うのは、諸般の関係証拠によつて明らかなように、被告人と占拠学生らとの間に共謀関係が成立した午前五時三六、七分頃から、僅々五分か長くて精々一〇分位の間に、北側エレベーター・ホール窓からなされた投石等に基づくものに限らるべきものであること、共同正犯の理論に徴し、極めて明らかであるのに、原判決が、被告人は、午前五時二五分頃と同五時三四分頃との二回に亘り、四階屋上部分と五階北側エレベーター・ホールとの二個所で、占拠の全共闘の学生やアルバム編集委員の学生らと本件妨害行為を共謀したものであるかのように認定し、脇本義弘、星巌、阿部武美・北川清逸・穂満弘二・藤川正美・及川善喜および望月一男の八警察官の受傷についてまで、被告人に対し、その責任を負わしめているのは、他の関係諸証拠、殊に、被告人の原審公判における供述と相対比して、その証明力が薄弱なことの明らかな被告人の捜査段階における供述部分を措信して、これを採証した結果、事実の認定を誤つたものであつて、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな重大な事実の誤認があるというに帰する。
そこで、記録を調べ、当審における事実取調べの結果をも参酌して、原判決に所論のような事実の誤認があるか、どうかにつき、以下に、これを検討する。
(一) 被告人の捜査段階、殊に昭和四三年一一月二四日以降における供述の証明力
なるほど、原判決が、その「理由・(罪となるべき事実)」第三段において、論旨の指摘するような被告人の二回に亘る共謀の事実を認定していることおよびその挙示する証拠たる被告人の捜査段階、殊に昭和四三年一一月二四日以降における供述中に、その共謀および実行行為の時点等に関し、略ぼ原判示に副うような個所のあることは、いずれも、所論のとおりである。しかしながら、記録によると、被告人は、昭和四三年九月一五日附起訴状記載の公訴事実につき、公務執行妨害、不退去の容疑で、同月四日午前六時一七分頃、現行犯人として、日本大学経済学部一号館(「本館」とも称せられている。)七階ホールで逮捕せられ、同月七日勾留、起訴後たる同月一九日一旦保釈出所を許されたが(被告人の司法警察員に対する同月一四日附および同年一一月三〇日附の各供述調書、同年九月七日附の勾留状、同月一九日附の保釈許可決定書並びに同月二〇日附の釈放通知書など参照。)、その後、二ケ月余り経つてから、更らに、同年一二月一三日附起訴状記載の公訴事実につき、殺人傷害の容疑で、同年一一月二四日午後六時五五分、令状によつて、被告人方で、再び逮捕せられ、同月二八日勾留、同年一二月六日勾留期間を同月一三日まで延長せられ、同日起訴と同時に釈放されたものであることが明らかであるところ(同年一一月二四日附逮捕状および同月二八日附勾留状参照。)、右二つの公訴事実間には、事実の同一性があり、また、右のように、同年九月四日に被告人が現行犯人として逮捕せられてから、同月一九日に一旦保釈出所を許されるまでの間には、相当の日数があり、被告人の素直な供述態度ということもあつて、それまでには、被告人に対する取調べは、既に、一応は殆んど終つた状態に在つたとはいえ、警察官西条秀雄が、被告人らの投石などによる傷害に基ずいて死亡したのは、被告人が、一旦釈放された一〇日間の後たる同月二九日午前一一時頃のことであると認められ(鑑定人斎藤銀次郎の同年一二月一二日附鑑定書謄本、中村紀夫の司法警察員に対する同年一〇月二五日附供述調書、及川進の同年九月三〇日附解剖立会報告書および西条ユウ子の司法警察員に対する同年一〇月一五日附供述調書など参照。)、この事実に、更らに、その後における捜査の進展ということなどをも、併わせ考えると、例えば、甲被疑事実による勾留を利用して、乙被疑事実につき取り調べをした後、一旦釈放し、直ちに、また、乙被疑事実により、逮捕勾留した場合において、乙事実につき、公訴が提起せられ、その後も、勾留理由があるときは、起訴前の段階における右のような勾留およびその勾留中における捜査官の取調べの当否の如きは、起訴後における勾留の効力に影響を及ぼすものではなく(最高裁判所・昭和四二年(し)第二六号・同年八月三一日一小決・集二一巻七号八九〇頁)、また、起訴後においては、被告人の当事者たる地位に鑑み、捜査官が当該公訴事実について、被告人を取り調べるが如きことは、なるべく、これを避けなければならないけれども、このことによつて、直ちに、その取調べを違法とし、その取調べのうえで、作成された供述調書の証拠能力までも、悉く、否定し去るべきものではない(同・昭和三六年(う)第一、七七六号、同年一一月二一日三小決・集一五巻一〇号一、七六四頁)と解せられるから、本件の場合でも、被告人の前記のような再逮捕以後における捜査段階の供述を、直ちに、すべて、証拠能力がないものと、速断することは、できないにしても(当審では、弁護人も、論旨第一点で、その証拠能力については、疑いを投げつつも、控訴の趣意としては、これを争わない旨明言している。)、少くとも、その証明力の判断に当つては、右のような捜査の経過は、決して、これを無視することはできないものといわなければならない。
以上のような諸事実に、被告人の捜査段階における供述の内容を、他の関係諸証拠と相対比して、総合考察すると、右の供述は、少くとも、当朝における被告人の動静、殊に、その共謀の事実に関する限り、その証明力は、被告人の原審公判における供述よりも、遙かに、劣つたところがあるものということができる。
そして、このことは、当審における事実取調べの結果をも参酌して考慮すれば、一層明白である(当審第二回公判で証拠として取り調べた写真の写し五枚並びに同第三回公判における証人神田淳および被告人の各供述を参照。)。
(二) 被告人の当朝における行動
右に述べたようなことを念頭に置き、原判決挙示の関係諸証拠(殊に、被告人の原審公判および捜査段階における各供述、沖田淳、吉田光男および佐村誠三郎の検察官に対する各供述調書謄本、平山静雄の実況見分調書、西尾正弘の各写真撮影報告書謄本、岩田康雄の写真帖(その二)謄本、小川均の「写真焼増ならびに写真撮影位置の捜査結果について」と題する書面謄本並びに原裁判所の検証調書など。)を総合し、なお、これに当審における事実取調べの結果(写真の写し五枚並びに被告人および証人沖田淳の当公判における各供述)をも参酌して、考察すると、被告人の当朝における行動、殊に、その時間的な順序は、概ね、次ぎのようなものであつたとみるのが、相当である。
イ、午前三時頃から三階の三三番教室で開かれた全共闘の集会(作戦会議)を垣間み、議長秋田明大などのアジ演説を耳にする。
ロ、そして、早朝より、アルバム編集委員長の吉田光男や同委員沖田淳らと共に、館内各所で、仮処分決定を執行するために、同館に入ろうとする執行官らやその執行を援助する警察官らの行動等を、写真に撮影。
ハ、殊に執行官が、マイクで、仮処分の執行を告げる直前の午前五時少し前頃からは、先ず、九階屋上と七階屋上(ポンプ室)で写真を撮つたうえ、更らに、五階へ下りて、同階と同一平面にある四階屋上部分の東南角および同西南角の二個所で写真を撮り、次いで、四階に下りて、同五時二三分頃、その西南角の所で、写真を撮つた後、また、五階へ戻つて、前記四階屋上部分の東南角の所で、写真を撮り、次いで、その北側にある金網の西北角の所へ行つて、同所で、同五時二八分頃に、写真を撮つたが、更らに、その東側中程の窪みのある所へ行つて、そこで、写真を撮り、また、その前記東南角に近い所へ戻つて、同所で、写真を撮つた。
ニ、その写真を撮り終つた頃、近くにいた全共闘の佐村誠三郎から、「こつちが大変だ。こつちへ来い。」といわれて、同五階北側エレベーター・ホールへ行き、そこで、全共闘の学生から、一度ならず、二度までも、投石用の花壇の縁石を運ぶように求められて、遂いに、同五時三四、五分頃には、アルバム編集委員長吉田光男や同委員沖田淳らと共に、これを承諾し、同五時三五、六分頃から、約一〇分間に亘つて、自らも、右の縁石等を運んだうえ、該エレベーター・ホール窓から投石等をした。
ホ、その後、被告人は、まだ、他の学生らが、同所から投石を続けている裡ちに、また、四階屋上部分東側中程の前記窪みのある所へ戻つて、写真を撮り、その間に、投石したうえ、更らに、その前記金網の東北隅の所へ行つて、同六時直前頃に、同所より投石、そして、また前記東南角の所へ戻つて、同六時二分頃、同所からも、投石した。
ヘ、それから、その西側の前記西南角に近い所へ行つて、写真を撮つたうえ、七階に上つたところを、同六時一七分、そのホールで、警察から逮捕せられた。
(三) 被告人の共謀と実行行為
当審の弁護人は、論旨第一点で、本件の執行官や警察官らに対する妨害行為は、全共闘の占拠学生約六〇名の共謀による犯行である旨述べているけれども、原判決は、判文上は、必らずしも、このことを明言しているわけではない。しかし、原判決を通読すれば、これをそのような趣旨に理解することもできないわけではないばかりでなく、当日日本大学では、午前三時頃から、経済学部本館三階の三三番教室で、全共闘の占拠学生により、集会(作戦会議)が持たれたことおよび同日午前五時二〇分頃から同六時二五分頃までの間に、これらの学生約六〇名によつて、二階ベランダ、三ないし五階の各窓および四階屋上等から、執行官の一行や警察官らに対し、一斉に、投石等の行為がなされていることは、諸般の証拠によつて、明らかであるから、右のような妨害行為が始まる前までには、少くとも、全共闘の占拠学生約六〇名の間には、既に、十分な意思の連絡、すなわち共謀が、成立していたものとみることができる。
問題は、被告人が、いつ、いかにしてこの共謀に参加し、その実行行為をしたかということでなければならないが、その次第は、関係諸証拠を十分検討したうえ、既に、右の(二)で、みて来たとおりであつて、それによると、被告人が、この共謀に加わつたのは、当日の午前五時三四、五分頃で(なお、昭和四四年四月四日東京地方裁判所刑事第一部の判決は、その時、大体において、被告人とその行動を共にしていたとみられる沖田淳につき、これを、午前五時三五分頃と認定し、また、同年九月一一日の同第一〇部の判決は、同吉田光男につき、これを、午前五時三五、六分頃と認定していることを参照。)、被告人がその実行行為をしているのは、当日の午前五時三五、六分頃から同六時二分頃までの間のことである(なお、右二つの判決は、これを、沖田については、午前五時三五分頃から同五時四五分頃までの間、吉田については、午前五時三六七分頃から同五時四五分頃までの間と、それぞれ、認定していることを参照。)とみて、先ずは、間違いがないものということができる。
そして、記録を調べても、被告人が逮捕せられる午前六時一七分頃までの間に、右の共謀や実行行為から脱退したという形跡は何らないから、原判決が、本件につき、被告人に、二つの共謀と実行行為とがあつたかの如く、認定しているのは、誤りであるといわなければならない。
(四) 責任の範囲
既に述べたように、共謀は、実行行為と相並んで、或る犯罪につき、共同正犯が成立するために、必要不可欠な要因であり、共謀のないところには、共同正犯がなく、共同正犯は、唯だ共謀があつた後における行為(他の共犯者の行為をも含む。)についてのみ成立する。
これを本件についてみると、先ず、昭和四三年九月一五日附の起訴状では、執行官や警察官らに対する二階ベランダ並びに三および四階の各窓からの投石等についても、被告人の公務執行妨害の責任が問われているけれども、このような投石等の事実は、原判決の認定していないところであるばかりでなく(但し、その理由は、原判決では、必らずしも明らかでない。)、記録を調べても、論旨のいう如く、被告人が、本件共謀に加つた後に、右のような場所に赴いたという証拠はもとより、その後において、他の何人かが、前記各窓から投石等をしたという特段の証拠もまた、何ら存しないから、公訴事実中の右部分については、結局その証明がないことに帰する。
次ぎに、昭和四三年一二月一三日附の起訴状では、警察官一九名に対する五階北側エレベーター・ホール窓からの投石等につき、被告人の公務執行妨害・傷害および傷害致死の責任が問われているけれども、そのうち、警察官森岡康に対する関係では、既に、原審で、その証明がないとして、これが無罪とされているばかりでなく、原審で有罪とされたその余の警察官一八名に対する関係でも、証拠上、少くとも脇本義弘および星巌の両警察官については、その受傷は、いずれも、当日の午前五時三四分頃で、被告人が、本件共謀に参加したと認められる前示午前五時三四、五分頃よりも、前ではなかつたかとの疑いがないわけではないから、(殊に、脇本義弘、星巌、佐藤武および小原秀孔の検察官に対する各供述調書謄本などを参照。)、この部分についても、結局、その証明はないものといわなければならない。そして、その余の警察官一五名の受傷および警察官一名の死亡については、証拠上、被告人にその責任があるものと認定しても、何ら差支えはない(原判決挙示の関係諸証拠を参照。)(なお、前記二つの判決も、この点においては、全く一致していることを参照。)
(五) 結論
以上の次第で、原判決には、右に述べたような限度において、事実の誤認があり、これが、判決に影響を及ぼすことは、明らかである。論旨は、右の程度において、理由があることになる。
二、それで、論旨第三点の量刑不当の主張に対する判断は、後に自判するところに譲るべきものとし、刑事訴訟法第三九七条第一項・第三七八条第四号・第三八二条により、原判決を破棄したうえ、同法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において、更らに、自ら判決をすることにする。
(罪となるべき事実)
「被告人の経歴」
被告人は、東京都内の小・中学校および日本大学附属豊山高等学校を経て、昭和四一年四月同大学経済学部産業経営学科(夜間部)に進み、予ねて写真に興味を持つていたところから、同学部の写真研究会に所属して、卒業記念のための学園生活アルバムの編集委員として活躍していた。
「犯行前における日本大学の状況」
学校法人日本大学では、経理問題を発端とする大学運営の改革を繞つて、昭和四三年五月頃から、理事者と学生との間に紛争が発生し、更らに、それを契機として、一部の学生により、全学共闘会議(議長秋田明大)(以下全共闘と略称。)が結成され、「全共闘」傘下の学生らは、同年六月一二日以降、東京都千代田区三崎町一丁目三番二号の同大学経済学部一号館(「本館」とも称されている。以下本件建物という。)(同建物は、東西よりも南北に長い、鉄筋コンクリート造り、陸屋根および地下二階附きの九階建で、東側には道路を距てて民家や商店が並び、西側は白山通りに面し、南側は道路を距てて、渡り廊下で、同学部二号館と連絡、北側には狭い道路を挾んで、日本キリスト教会三崎町分会がある。)等の建物を封鎖、占拠していた。
右のような情勢のもとで、同年九月四日早朝、東京地方裁判所執行官田中利正ら一行は、先きに、日本大学の申請によつて、東京地方裁判所民事第九部がなした、本件建物につき、前記「全共闘」傘下の学生らの占拠を排除するなどを内容とする仮処分決定の執行をするため、本件建物前に赴き、同日午前五時頃、マイクで、同建物を占拠している学生らに対し、「本件建物の占有を解いて執行官にその保管を命ずる。バリケードなどの障碍物および角材・鉄棒・石塊・空びんなどの物件を直ちに撤去しなければならない。」などの前記仮処分決定の内容を告知すると共に、バリケードの撤去と建物からの退去を繰り返し求めたけれども、学生らには、何らこれに応ずる気配がなかつた。
そこで、右執行官田中利正は、遂いに、同日午前五時二〇分頃、マイクで、強制的に右決定の執行を行う旨を告げて、これに着手したところ、占拠学生らが、本件建物から、一斉に、石や空びん等を投げるなどして、その執行を妨害したので、同五時二三分頃、附近に出動待機中の警視庁機動隊に対し、民事訴訟法第五三六条第二項による執行援助を求めたうえ、その援助のもとに、占拠学生らの抵抗を排除しつつ、執行を進めることにした。
そして、同執行官一行のうち、執行官補助者都築幸次らは、同五時二八分頃、本件建物一階北側エレベーター・ホールの窓ガラスを破り、同所から本件建物内に入つて、執行を開始し、右執行援助の要請に基づき出動中の警視庁第二機動隊(隊長三沢由之)は、本件建物の東南方向から同第五機動隊(隊長青柳敏夫)は、北西方向から、それぞれ、同建物に接近し、いずれも、同建物内の二階ベランダ、三、四、および五階の各窓並びに四階屋上等にいた占拠学生約六〇名の石塊・コンクリートおよびブロツクの各破片、牛乳空びん、机並びに椅子などを投げつけ或るいは放水するなどの激しい妨害を受けながらも、これを排除して、午前六時二五分頃までの間には、本件建物に進入し、仮処分の執行を援助して、それを完了させたが、この際、警視庁第五機動隊第四、三、二中隊所属の警察官約一三〇名は、右執行を援助するため、ジユラルミン製大楯や木製小楯を頭上にかかげて、占拠学生らからの投石などを避けながら、同五時二九分頃より、本件建物北側の巾約八〇センチメートルの路地内に、白山通りから東の方向へと進入し、右執行官補助者都築幸次らに続いて、右一階北側エレベーター・ホール窓から、本件建物内に入ろうとしたが、同窓附近の内部に設置されていたバリケードの除去に手間どり、右路地内に、警察官多数が、一度に、数珠繋ぎとなつて、密集するような状態になつた。
「犯行」
被告人は、「全共闘」には属していなかつたが、アルバムの編集委員として、同大学の学園紛争における一連の経過を撮影記録して置くため、他のアルバム編集委員らと共に、封鎖中の本件建物にもしばしば出入していたところ、前記仮処分執行の前日である同月三日夕方、「学内で何か事件が起りそうだ。」との情報に接した結果、その情況を写真撮影するために、他のアルバム編集委員と誘い合わせて、同夜は本件建物内に泊り込み、翌四日には、早朝より、本件建物内の各所(主として五階および五階と同一平面にある四階屋上部分)で、他のアルバム編集委員と共に、前記の仮処分決定を執行するため、本件建物内に入ろうとする執行官らやその執行を援助する警察官らの行動を、写真撮影していた。
被告人は、初めのうちは、唯だ、写真の撮影をするだけのつもりでいたが、他の学生達が一体となつて、警察官などに対し、投石等をし始めるのを見ているうちに、その二時間位前、本件建物内で開かれた「全共闘」の作戦会議を垣間見て、その際に聞いたアジ演説のことが思い出されて、次第に気持が昂り、自らも、遂いに、「警察官を本件建物に入れてはならない。執行官らを追い払わねばならない。」と考えるに至つていた折柄、四階屋上部分東南角の所で、附近にいた「全共闘」傘下の学生佐村誠三郎から、「こつちが大変だ。こつちへ来い。」といわれ、アルバム編集委員長吉田光男および同委員沖田淳らと相前後して、五階北側エレベーター・ホールに急行したが、同所にいた「全共闘」傘下の学生から、一度ならず、二度までも、投石用に、花壇の縁石を運ぶようにと求められて、結局、同日午前五時三四、五分頃には、右吉田光男や沖田淳らと共に、これを承諾し、ここに、同人らを含め、「全共闘」の占拠学生らと意思を通じて、共謀のうえ、同午前五時三五、六分頃より同五時五〇分前後頃までの間に、「全共闘」傘下の学生らにおいて、地上より約一七メートルの高さのある前記エレベーター・ホール窓から、予ねて同エレベーター・ホールと同一平面で続いている四階屋上花壇の縁石を破壊して準備してあつた煉瓦・コンクリートおよびブロツク塊(重き数キログラムから最高一七キログラムに及ぶ。)など数十個を、前記のように、本件建物内に逐次進入しようとして、路地内に密集していた警察官に目がけて投下し、被告人自らも、同五時三五、六分頃から同五時四五、六分頃までの間に、前記花壇附近からエレベーター・ホールまで、煉瓦・コンクリートおよびブロツク破片などを数個運び込んだりしたうえ、右エレベーター・ホールの窓から大きな石塊二個を含む十数個の石を投下し、また、その直後頃から同六時二分頃までの間に、それぞれ附近にいた他の占拠学生らと相呼応して、なおも本件建物の四階屋上部分東北角、同東側中程附近および同東南角などから、写真を撮影する合い間を見ては、それぞれ附近の路上などにいた執行官補助者や警察官などに対し、交ごも、拳大の石、コンクリートやブロツクの破片或るいは空びんなどを一〇個ないし十数個づつ投下し、以つて右執行官および警察官らの職務の執行を妨害した。
そして、被告人を含む前記エレベーター・ホールにいた「全共闘」の学生やアルバム編集委員等合計九名位の者がなした右のような一連の暴行により、末尾添付の別紙受傷警察官一覧表記載の如く、警視庁第五機動隊第四中隊等所属の阿部武美ら一五名の警察官に対し、加療約一週間ないし一〇ケ月間を要する頸椎骨折等の傷害を負わせ、更らに、同機動隊第三中隊所属の警察官(巡査部長)西条秀雄(当時三四年)に対しては、前頭部頭蓋骨骨折および脳挫傷の傷害を負わせたうえ、同人をして、同月二九日午前一一時頃、同都千代田区富士見町二丁目一〇番四一号の東京警察病院において、右傷害に基づく外傷性脳機能障害に因り、死亡するに至らしめた。
(江碕 竜岡 藤野)
(罪となるべき事実)
学校法人日本大学では、経理問題を発端とする大学運営の改革をめぐつて昭和四三年五月ごろから理事者と学生間に紛争が発生し、さらに、それを契機として一部の学生によつて全学共闘会議(議長秋田明大)(以下全共闘と略称)が結成され、「全共闘」傘下の学生らは同年六月一二日以降東京都千代田区三崎町一丁目三番二号(所在)の同大学経済学部一号館(「本館」とも称されている。以下本件建物と言う)等の建物を封鎖・占拠していた。
そこで同年九月四日早朝、東京地方裁判所執行官田中利正ら一行がさきに日本大学の申請により東京地方裁判所民事第九部がなした本件建物について前記「全共闘」傘下の学生らの占拠を排除するなどの仮処分決定の執行をするため、本件建物前におもむき、同日午前五時ごろ、マイクで同建物を占拠している学生らに対し、「本件建物の占有を解いて執行官にその保管を命ずる。バリケードなどの障碍物および角材・鉄棒・石塊・空びんなどの物件を直ちに撤去しなければならない。」などの仮処分決定を告知するとともに、バリケードの撤去と建物からの退去を繰り返し求めたが、学生らにはこれに応ずる気配がなかつた。
そこで右執行官田中利正は、同日午前五時二〇分ごろ、マイクで強制的に執行を行う旨告げてこれに着手したところ、占拠学生らが本件建物から石や空びんなどを投げるなどして執行を妨害したので、同五時二三分ごろ、附近に出動待機中の警視庁機動隊に対し民事訴訟法第五三六条第二項による執行援助をもとめその援助のもとに占拠学生らの抵抗を排除しつつ執行をすすめることとした。そして、同執行官一行のうち執行官補助者都築幸次らは同五時二八分ごろ本件建物一階北側エレベーター・ホールのガラス窓を破り、同所から本件建物内に入つて執行を開始し、右執行援助の要請にもとずき出動中の警視庁第二機動隊(隊長三沢由之)は本件建物の東南方向から第五機動隊(隊長青柳敏夫)は北西方向から同建物に接近し、いずれも同建物内二階ベランダ、三、四、五階窓および四階屋上等にいた占拠学生約六〇名の石塊・コンクリートブロツク破片、牛乳空びん、机、椅子などを投げつけ、あるいは放水するなどによる激しい妨害を受けながらもこれを排除して午前六時二五分ごろまでの間に本件建物に進入し、仮処分の執行を援助して、それを完了させたが、この際、警視庁第五機動隊第四、三、二中隊所属の警察官約一三〇名は、右執行を援助するため、ジユラルミン製大楯や木製小楯を頭上にかかげて占拠学生らからの投石などを避けながら、同五時二九分ごろから本件建物北側の巾約八〇センチメートルの路地内を白山通りから東の方向に進入し、右執行官補助者都築幸次らに続いて右一階北側エレベーター・ホール窓から本件建物内に入ろうとしたところ、同窓附近の内部に設置されていたバリケードの除去に手間どり、路地内に右警察官多数がじゆずつなぎになつて密集するような状態になつてしまつた。
被告人は、日本大学経済学部産業経営学科三年に在学中の学生で、同経済学部の写真研究会に所属し、卒業記念のための学園生活のアルバム編集委員として活動していたもので、「全共闘」には属していなかつたが、アルバム編集委員として同大学の学園紛争の一連の経過を撮影・記録しておくため、他のアルバム編集委員とともに封鎖中の本件建物にもしばしば出入していたところ、本件仮処分執行の前日である九月三日夕方、学内で何か事件が起りそうだとの情報に接し、その情況を写真撮影するために他のアルバム編集委員と誘いあわせて同夜は本件建物内に泊り込み、翌九月四日は、早朝より本件建物内の各所(主として五階および五階と同一平面にある四階屋上部分)において他のアルバム編集委員とともに仮処分決定を執行するために本件建物内に入ろうとする執行官らやその執行を援助する警察官らの行動を写真撮影していた。」
そして被告人ははじめのうちは写真の撮影をするだけのつもりでいたが、他の学生たちが警察官などに投石などをしはじめたのを見ているうちに、その数時間前に本件建物内で開かれた「全共闘」の作戦会議の際になされたアジ演説のことも想い出されて、次第に気持がたかぶり、遂に、警察官を本件建物に入れてはならない、執行官らを追いはらわねばならないと考えるに至り、同日午前五時二五分ごろから同六時二分ごろまでの間、それぞれ付近にいた他の学生らと相呼応共謀したうえ本件建物の四階屋上部分東北角、同東側中程附近、同東南角などから、写真を撮影するあい間に、それぞれその附近の路上などにいた執行官補助者、警察官などに対し、拳大の石、コンクリート・ブロツク破片あるいは空びんなどを一〇個ないし十数個ずつ投下し、またその間、「全共闘」傘下の学生佐村誠三郎から「こつちが大変だ、こつちへ来い」と言われて五階北側エレベーター・ホールに急行し、同日午前五時三四分ごろから同五時五〇分ごろまでの間、同所にいた全共闘傘下の学生およびアルバム編集委員ら合計八名くらいの者と互いに意思を相通じて共謀のうえ、地上から約一七メートルの高さのある右エレベーター・ホール窓から、かねて右エレベーター・ホールと同一平面で続いている四階屋上花壇の縁石を破壊して準備してあつたレンガ・コンクリート・ブロツク塊(重さ数キログラムから最高一七キログラムに及ぶ)など数十個を前記のように本件建物内に逐次進入しようとして路地内に密集していた警察官めがけて投下したが、その際被告人自らも前記花壇附近からエレベーター・ホールまで、レンガ・コンクリート・ブロツク破片などを数個運び込んだりしたうえ、右エレベーター・ホールの窓から大きな石塊二個を含む十数個の石を投下し、もつて右執行官および警察官らの職務の執行を妨害した。
そして、被告人を含む右エレベーター・ホールにいた九名くらいの者の右のような一連の暴行により、別紙受傷警察官一覧表記載のとおり、警視庁第五機動隊所属の警察官脇本義弘ら一七名の警察官に対し、加療約一週間ないし一〇ケ月間を要する頸椎骨折等の傷害を負わせ、さらに、同機動隊第三中隊所属の警察官(巡査部長)西条秀雄(当時三四年)に対しては前頭部頭蓋骨骨折、脳挫傷の傷害を負わせたうえ、同人をして同月二九日午前一一時ごろ、千代田区富士見二丁目一〇番四一号東京警察病院において、右傷害にもとずく外傷性脳機能障害により死亡するに至らしめたものである。